僕がブロガーとして称して、ブログを書き続けているわけですが、Twitterでも同じようにツイートしたら、誰にツイートしているの?と疑問に思われたことがあります。
誰にと言われても、誰に向けた言葉でもないものに、疑問を持たれても仕方がありません。
例えば、お腹が空いた、とかツイートしたとしても、誰が反応してくれるか分かりません。
そうなってくると政治経済ネタなどで反応する人もいれば、しない人もいる。それについてなんでツイートしているのかと疑問を投げかける行為なんですよ。
僕からしたらなぜ興味を持たないのか、呟いてはいけないことなのかという疑問が浮かんでくるのですが、もっと深く掘り下げれば誰に向けて、どこで発信しようが、それは個人の自由、正確には言論の自由という権利があることを自覚していない証拠ではないのかと。
賢いとかそういうレベルではなくて、根本的に政治経済の話で例えるなら有権者であるのにも関わず、関係がないと判断し、給料が増えない、商品の高騰、ガソリン高騰、税金について日常生活に関わることで起きる不満をそのまま放置してきた結果であると理解していないのです。
日常的に発生する問題というのは政治経済がリンクしており、税金を減らしたい、物価を安定させたい、ガソリン代を下げたいと考えるなら、有権者としての権利を果たしていくべきなのです。
若い時はそういうものに無関心であるというか私生活で精一杯であるというのも分かります。しかし、そういう無関心を敷き詰めていき、年齢を重ねて徐々に余裕が出来るとともに、政治経済について意見を申し上げたくなるというのはあるのではないかと思います。
政治経済を掘り下げるとここまで話が続くんですが、ツイッターと言いますかXと言いますかSNSでは、誰に向けて発信しなければいけないという固定概念が残っている人がいるようです。
日常的なシンプルな会話でいえば、あそこに車があった。というツイート。そこに車があろうがなかろうが、僕には関係がないこともあります。すべての人間に関係がある情報が流れてくるわけではありません。
エロいツイートを流す人もいれば、面白い大喜利のネタを流す人、アニメの画像を流す人、たくさんがいますが、全てが必要な情報とは限らないのです。
僕も興味がないツイートがタイムラインに流れてくれば普通に無視します。それは僕にとっては大事な情報ではないなっていうことが分かるからです。
誰かがミスとしたとしても日本におけるTwitter人口の何人が反応してくれていますか。見てくれていますか。
ブロガーというのは多くの方に見てもらうという点でSNSやブログを通じて発信しているだけであって、誰に向けて発信しているとは限らないのです。
それはこの記事を読んでいる人にも言えることで、大事なことは情報の中から、自分にとって大事な情報を選択する能力です。
間違った使い方をされる方もいるかもしれませんが、ツイッターの情報がそもそも正しいとは限らない。僕ら見ている情報がすべて正しい間違っていると判断している時間はないのです。
限られた世界から限られただけのデータに触れて、足りない部分をGoogle検索などインターネットという情報の海から探し出そうと努力するのではないでしょうか。
もちろんすべてが正しいとは限らないという前提の中です。僕はTwitterを生活の一部とは思っていません。
間違っても、情報の海に落ちてしまっては覚えてしまうと現実の中で生きることはできないのです。
あなただけがTwitterをやっているわけじゃない。ブロガーも情報の海に情報を流す何者かになっているだけなのですね。