自分の考え方を表現するために

27

僕の表現は曖昧なものが多くて、撮影してからタイトルを決める事が多い。テーマ自体は決まっていることはあっても写真1枚に対してタイトルを決めることは撮影して、写真選びをしているときに考える。

テーマを決めるのは難しいし、基本街中で撮影することを選んできた。誰にも邪魔されず、誰かの日常を撮影する。そういう当たり前にある風景が今大事しないといけないってのを最近考えている。

人生って短いんですよ。やっぱり。100年っていう歴史は2024年からみれば20分の1でしかない。1世紀では世界のすべてを知ることが出来ない。だからこそ芸術で、学問なんだと思っていて。僕自身が何を選び、何を考えればいいのかちょっと考えている。

学問が出来ないし、芸術はできない。ただ生きているだけなら、生きているだけの間を記録に残そうとしている。最近は親の写真中心に撮っていて、悲しくてでも受け入れなきゃいけないのは親が高齢で、数年後十年後と死ぬということは比例して僕よりは早い立場にいる。

だからこそ歴史に残したいし、その瞬間を生きた人たちを残すのはクリエイターとして求められる部分なんじゃないかって。テーマを決めるという点では「日常」というのは僕の中で一番大事にしている。

芸術は身近にあって、花や像、瓶、家具等色々なところに美しいものがあるっていうのを分かってもらって、心を豊かに感じてほしい。今の時期なら桜、菜の花という春の植物もいいし、タケノコ料理をみて美味しいだけじゃなくて、見た目的にも美しいと思える感性が大事なんだと。

自分が考えたこと、思ったことを表現するのに写真は一つの方法。写真をみて美しいと思ってもらえるなら嬉しいし、悲しさや怒り、疑問などの感情もまた感じ取れる作品を生み出したい。

表現というカタチで陶磁器、絵画などいろいろな創作物を作る側、触れる側に分かれていくけど、どちらの側にいたとして表現するものを共有する存在である。

感性を培っていくかは色々と試行錯誤をしなければいけないし、人に与える影響が大きい作品というものを生み出すためには、天才が学ぶという芸術の見えない底を覗くことになる。

特に写真や絵画というのは、死後評価されることが多々ある話で、生きているときに評価してくれた方には感謝しておくのが一番である。価値がついてから評価しているようじゃ素人なのだと僕は考えている。

関連記事